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 酒王 窓乃梅

 窓乃梅酒造株式会社は元禄元年(1688年)の創業いらい、300有余年に及ぶ長い歴史を持っております。
 佐賀県内最古の酒蔵として、また九州を代表する銘柄として現在に至りましたのは、歴史に積み重ねられた皆さまからの信頼の賜物と存じます。
 しかしその信頼に安住せず、家族的な連帯感の強さを持つ社風を活かして常に旨し酒造りの道を模索することに一丸となって取り組んでおります。
 私たち窓乃梅酒造株式会社は日本食文化の一翼を成す日本酒文化の担い手としてより多くの方が日本酒に親しんでくださるように「良品適価」を心掛け、伝統と日本酒文化の花を咲かせて参ります。

 窓乃梅の歴史

 当蔵は元禄元年に佐賀鍋島藩より藩の余剰米の利用法として酒造りを命じられた初代古賀六右衛門により『寒菊』の銘で創業致しました。
 ではどうして現在の『窓乃梅』という銘に変わったのでしょうか。実は次のようなエピソードがあったのです。

 時は安政七年(1860年)三月。春とはいえ山峡に寒気が満ちて、野面を渡る風も冷たく肌を刺す夕暮であった。と、酒倉の横にいまを盛りと咲き誇っていた白梅の花が、さっと吹き過ぎた一陣の風にすくい上げられ空に舞った。つぎの瞬間、それらの花吹雪は酒倉の窓に吸われるように消えて行った。あっという間の出来ごとである。
 仕込みの桶は、時ならぬ落花にまたたく間に雪をかぶったようになった。驚いたのは杜氏である、桶にかけ寄ったものの何ら手のほどこしようもなく、呆然と突然変異に見舞われた桶の前で手をこまねくだけであった。しかし、その杜氏をはじめ全員の不安のまなざしを尻目に一つの奇跡が起こったのである。梅の花びらの浮かぶ桶の中から、かってない芳醇な香りが漂よいはじめたではないか。

 驚き、喜んだ杜氏はこの旨を告げに八代、文左衛門のもとにかけこんだ。やがて、桶から汲み上げた酒を口に含んだ文左衛門の眼が異様にかがやきだした。まさにこの時奇跡が起った。

 文左衛門はちょうど昨年秋より西の宮に酒造技術の研究に出かけ帰ったばかりである。西の宮でもこのような話は聞いたことがない。この現実は何かの天の恵みと解釈する以外にないのである。彼は早速この酒を時の藩主、鍋島直正公に献上した。腹にしみわたるまろやかな味。酌めどもつきない芳醇な香り。公は喜び、筆を取るとさらさらと一筆その場でしたためた。

年々にさかえさかえて名さえ世に香りみちたる窓乃梅が香

 これを直臣、古川松根氏がさらに掛軸に仕立て上げ、文左衛門に贈った。
現在、古賀家の家宝となっている掛軸がそれである。「窓乃梅」の名称がここから出たものである事は言うまでもない。

概  要

社名
窓乃梅酒造株式会社
代表者
古賀醸治
所在地
〒849-0203
佐賀県佐賀市久保田町大字新田
1833−1640番地
TEL 0952−68−2001
資本金
3,500万円
年商
4億円
営業内容
清酒・焼酎・リキュール・粕漬の製造と販売
営業地域
佐賀県・福岡県・長崎県を中心に全国

沿  革

元禄元年(1688年)古賀六右エ門(初代)当地に「寒菊」の銘にて酒造場を創業。

安政7年、時の藩主 鍋島直正公の命名により「窓乃梅」と改称。

大正7年11月22日、第10代古賀文一郎、法人化を計り「窓乃梅酒造株式会社」を設立する。

昭和15年5月26日、社長古賀文一郎辞任し、相談役となり第11代古賀醸一郎 社長に就任する。

昭和26年、増資により資本金150万となる。

昭和33年3月11日、社長古賀醸一郎死去に伴い第12代古賀酵一郎 社長に就任する。

昭和46年、増資により資本金3,500万円になる。

平成5年12月1日、古賀酵一郎 会長に就任。第13代古賀醸治 社長に就任する。

平成19年1月、会長古賀酵一郎死去。


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